足あと
歴史
お客様から「英祥」のいわれを
聞かれる事が多いのですが、
五十年続いた底曳き網漁船
「英祥丸」から名付けたものです。
長年船乗りで網元だった先代の、
想いを継いで、
英祥丸の歴史と海の思い出を
大切に宿に生かしています。
昭和28年頃
戦争が昭和20年に終わり、復興し始めた日本。香住は漁業の町として新港ができ、発展のきざしを見せはじめていました。魚に携わる人々は多く、朝の早い威勢のいい気質はこの頃から。
昭和60年頃
下浜定置網にかかった寒ブリ、なんと1万本。今でもあまりないことで、新聞にも取り上げられた香住の大漁の歴史です。船が小ぶりで、すべて揚げることはできなかったでしょう。
香住沖
昭和28年頃
下は、2代目英祥丸
豊富に獲れる漁場めざして、皆、必死だった時代です。当時としては最新鋭でこれは進水式の直後らしく、縁起物をつけたままです。遠くに見える香住の景色は今とあまり変わりがありません。
昭和45年頃
上は、3代目英祥丸
安定して操業できるようになって、好景気に沸いた時代です。漁業だけでなく、日本が右肩上がりに豊かになり始める頃でした。
四代目
英祥丸
わたしたちの記憶に残る、最後の英祥丸。今まででいちばんの大型船です。これでより遠くまで、より多くの魚種を獲って香住港へ帰るんだ、との気概いっぱいでした。自分の船を持っているということは、責任も重く自然に左右される事も多く、大きなリスクもあります。見えない海路へ漕ぎ出す怖さは、何年たっても消えないが、だからこそ入念に調べた記録やデータを総動員して進んでいくのだ、と耳に残っています。先代たちは、そうして挑んで得られた魚に対しては、まさに海からの宝ものを少しいただく、という謙虚さを持たずにはいられなかったと。何にも増して、海と魚を愛していた亡き先代の思いを継いで、私たちは、今さらに魚の声を聴くようにしています。